真の目的を見つけ、東北から日本を変える挑戦へ
縁ある人を物心両面の幸福に導ける技術を体得している真の指導者「プロスピーカー」として生きる人物に焦点を当てた本コーナー。今回はJPSA認定シニアプロスピーカーであり、JPSA東北ブロック 担当副参事の小島清一郎さんです。母の急逝、東日本大震災、離職率86%という組織崩壊の危機。環境や周囲に原因を求め、もがき苦しんだどん底から、学びを通じてどのようにして「売上5億円突破」「残業時間半減」「離職率4%」という驚異的なV字回復を創り出したのか。卓越した成果の裏にある軌跡をお話しいただきました。
「親孝行をしてこなかった私にバチが当たったんだ」。福島育ちの私は25歳で父が創業した会計事務所へ入社しました。しかし社会人3年目、母がすい臓がんで急逝。何も親孝行できなかったと悔やむなか、東日本大震災が福島を襲いました。最愛の妻を失い、震災で会社の未来も見えない焦りから周囲へ怒りを表す父に、私も感情的に怒鳴り返す日々が続きました。経営層の不仲は社内に伝わり、離職率は86%まで跳ね上がりました。32歳で急遽代表を引き継ぐも、当時の私はすべてを「震災や父のせい」にしていました。ストレスで急性胃腸炎を繰り返す私を見かねた友人の紹介で受講したのが『頂点への道』講座でした。
すべてを環境のせいにしていた私は、初受講で青木社長の「私の人生は私に責任がある」という言葉に衝撃を受けました。原因はすべて自分にあったのだと頭を殴られた感覚でした。その後も受講するなかで、数々の先輩プロスピーカーに触れ、その生き方に魅了されました。私も与える人生を生きたいとプロスピーカーを目指し、学んだ技術を現場で実践。しかし、プロスピーカー・トレーニング・プログラム受講後、自信をもって挑んだ二次試験は不合格でした。いただいたフィードバックは事業の実績ではなく「父との関係」。成果で自分を大きく見せて、不仲だった父から目を背けていたことを見透かされたのです。これを機に、父と向き合うことを決意。人生を追体験するようにして、父の視点でこれまでを捉え直してみたのです。すると、父もまた妻を亡くし、震災の恐怖のなかで会社を守るために必死に生きていたと気づいたのです。
初めて父の願望を聞きました。すると「温かい家庭を築きたい」「社員に創業の背景を伝えたい」と。その願望に寄り添い、全体会議で社員に創業の想いを伝える時間を確保。親孝行できる生き方をしたいという理想の自分に向けて行動し続けたのです。そして、少し経ったころ、父から「素晴らしい人間に育ってくれて、私は幸せです」と一通の手紙をもらったのです。涙が溢れたと同時に、母の記憶が蘇りました。余命宣告の直後「せい君が仏壇に拝みに来たときに笑顔じゃなかったら嫌でしょ」と笑顔の遺影を遺してくれていました。限られた時間のなかで、最後まで深い愛情を注いでくれていました。両親からこんなにも大切にされてきた事実を噛み締めたときに初めて、どんな人生を生きたいのかの答えが浮かんできたのです。大切な人を守り抜きたい、幸せにしたい、もっと卓越して貢献したい。それが私の生きる目的でした。
目的を見据え毎日を生きることで確かな変化を感じるとともに、元の思考習慣に戻ることもしばしば。そう簡単に人は変わらないということをつくづく感じる日々でもありました。だからこそできる限りこの学びに触れ、原理原則に立ち返る回数を増やしたいと思い、仲間や先輩方がいらっしゃるJPSA活動の場に足を運びました。それは、日常の葛藤や孤独などを等身大に吐き出しても、理解をしていただけたり、効果的なアドバイスをいただけたり、先輩方の実践事例に触れて解決のヒントをいただける環境だったのです。得た学びを現場で実践し、またJPSAの環境にきてアウトプットし、アドバイスをいただいて現場に戻る、そんなプロセスを繰り返すなかで着実に成果が変わっていきました。
例えば、当時は残業が常態化していましたが、「真の貢献とは長時間働くことではなく、お客様の目的達成を支援することだ」と社内での定義を変え、当時業界ではまだ珍しかった「製販分離」の仕組みを導入。そのような改革を実施していった結果、残業時間は半減し、売上は1・2億円から5億円、社員は21名から65名、離職率は86%から4%に改善しました。さらには、私の背中を見た高校生の長男が「僕もこの会社を継ぐ」と自ら事業承継を決断するなど、ビジネスもプライベートも本当の幸せを手に入れることができたのです。おかげさまで、2017年にベーシックプロスピーカーに合格しました。
やっと理想の人生を歩み始めた矢先の2020年、コロナ禍が襲ってきました。「東京に出たら地方では噂されてしまう」と周囲の目を恐れ、JPSA活動から少し距離があいた時期がありました。しかし、家で仏壇に手をあわせ笑顔の母の遺影を見つめたとき、「起きた出来事は変えられないけれど、未来の行動は選択できる」と言われているような気がしたのです。本当はどうしたいのかと自分の心に問うと、「このままでは絶対に終わりたくない、もっと卓越して人の役に立ちたい」という想いが湧き上がりました。大切な人たちを守り抜くために、福島のみならず東北全体に貢献できる力をつけようと、シニアプロスピーカーへの挑戦を決意。数々の先輩方の支えのなかで1年にわたり挑んだ結果、リーダーとしての視座が高まり、2026年におかげさまで合格することができたのです。
長い人生、想像もつかない試練に立たされることは誰にでもあると思います。しかし、本気でチャレンジしている仲間と学ぶことで、どんな逆境にも真正面から立ち向かう強い力を得ることができる。どこまでも自分を磨き続けられるこの環境こそが、JPSAの真の価値だと確信しています。
現在、倒産や休廃業に追い込まれる中小企業は後を断たず、事業の継続を断念する経営者は少なくありません。東北ブロックの担当副参事として、「東北が良くなれば、日本が良くなる」という信念のもと、これからもさらなる高みを目指して挑戦を続けてまいります。

