COLUMN コラム・インタビュー COLUMN コラム・インタビュー

【田中 淳・永田 真樹子】プロスピーカーという生き方

JPSA認定プロスピーカー田中 淳・永田 真樹子が、プロスピーカーになるまでの軌跡と生き方を語るインタビューです。

挑戦した分だけ人生が豊かになるその自己実現の舞台がJPSAにある
田中 淳・永田 真樹子 (たなか じゅん・ながた まきこ)

ART DANCE JAPAN株式会社  代表取締役社長 JPSA認定  シニアプロスピーカー/ART DANCE JAPAN株式会社  専務取締役 JPSA認定  シニアプロスピーカー

田中 淳:高校1年生で社交ダンスを始め、高校卒業と同時にプロダンサーになるために上京。ダンス歴は30年を超える。プロになり、5年でトップクラスのA級に昇級し、イギリス、ドイツ、ポーランドなどに毎年留学を重ね、ダンス技術を磨き続ける。主なタイトルは統一全日本10ダンス選手権5位、全関東選手権優勝など。2007年東京大森にダンススタジオを開校。妻である永田真樹子氏とともに経営をする。2018年に法人化、部門展開をする。ダンスの魅力を伝えるというミッションに生き、介護予防やエクササイズ、企業向けセッションなどと、型にはまらない多種多様なアプローチを行い、日本社会の持つ課題にも正面から取り組んでいる。

永田 真樹子:子どもの通う保育園の園長先生からの紹介で『頂点への道』講座を受講。外的コントロールが当たり前であったダンスの業界で、選択理論を生かした経営に取り組み、スタッフの離職減少、また新事業として日本が抱える介護問題に着目し、介護予防ダンスを展開する。全国依頼件数ナンバー1を5年連続で獲得。現在は母親として、また女性としてNHKのスポーツ番組の講師をするなど、各種メディアにも出演している。

「勝つこと」以外 興味がなかった人生

田中 初受講のとき、壇上で自分自身の経験を話される先輩受講生の姿を見て、心の底から憧れたのを鮮明に覚えています。ここで学び続ければ、自分もああなれるのか。それはぜひともなりたい。そう強く思いました。そして聞いてみると、その方は「プロスピーカー」という肩書きを持っているそうで、直感的に目指したいと思ったのが、プロスピーカーチャレンジのスタートでした。当時の私の頭の中には、勝ち負けの考え方しかなかったのだと思います。ダンスの世界に憧れて、飛び込んでは、ランクの上の人たちを見て「勝ちたい」と心のなかで燃えていました。とにかく、周りに勝つこと、それだけが生きがいであったと思います。
しかし、それでプレイヤーは務まっても、ダンススクールの経営はうまくいきませんでした。スタッフのことはおろか、自分の子どもでさえも、大切にできていなかったと振り返って思います。
永田 私たち夫婦は、お互いに社交ダンスで腕を磨いてきましたが、その延長線上でダンススクールを経営していました。経営をしっかり学んだことがなかったのはいうまでもないのですが、時間管理もスタッフのマネジメントも、子育てにおいても、うまくいっていませんでした。必死に努力していたとは思います。
しかし、納得のいく結果はなかなか得られていなかったのです。今思えば、他人に対して、私はまったく興味を持てませんでした。たくさんの目標を達成してきたものの、それはすべて自分のためだったのです。一つ成し遂げると、燃え尽きたようになることもしばしば。公私ともに不安定だったと思います。どうにか変わりたいと、夫婦でアチーブメントの学びの門を叩いたのです。
田中 ほとんどすべての講座を夫婦で受講してきました。二人だったからこそ得られた学びが多かったなと思います。特にダイナミックコースとダイナミックアドバンスコースでの学びは大きかったです。生きる価値とはなにか、誰のためになんのためになぜ私は成功したいのか。そうやって、自分の人生と深く向き合い、一つひとつの経験から成長の種を見出していくプロセスをともに歩むことができたおかげで、より深くお互いのことが知れました。そのなかで得てきた確信こそが、結果を追い求め続けてきた二人でしたが、それは正しかったということ。社交ダンサーは世のため人のためになる価値ある存在だということ。そして、私たちは多くの人に支えられ、多くの人に必要とされているということでした。
永田 自分たちの命と向き合うワークがありましたが、それが特に私にとっては衝撃でした。自分のことしか考えてこなかった私ですが、その場にいる全員の思いを聞くうちに、人はだれしもが、誰かにとっての大切な人であり、誰かのことを大切にしている存在であるとわかったのです。一人で生きてきたと思っていたのですが、過去を振り返ると、私もたくさんの方にお世話になってきました。今もなお、たくさんの方の力を借りて生きています。私は一人ではない、大切な仲間や家族がたくさんいるのだと深く噛み締めた瞬間だったのです。

「愛」を知り、確固たる人生の原動力に

田中 学んできたことは何かと聞かれると、それは「愛」という概念だと思います。特に私は、プロスピーカーを目指す半年間のプログラムで、自分が持っていた心のわだかまりの一つである父との関係に向き合いました。幼いときに両親が離婚し、私は父に育てられましたが、常に厳しいしつけを受けてきました。殴られてガラスを突き破ったこともありました。心底思いました、この人から解放されたいと。
それで、社会人になってからはほとんど連絡を取っていなかったのですが、どこか自分のなかに罪悪感がありました。それが、様々なブレーキになっているのだろうとプログラムのなかで先輩プロスピーカーからフィードバックをいただいて、勇気を出して父ともう一度しっかり話そうと思ったのです。何年かぶりに電話をして「僕だけど」と伝えただけでしたが、父はすぐに分かってくれて、とても嬉しそうでした。その1週間後に迎えた父の日で、生まれて初めてお花を贈りました。
さらにその翌週にたずねに行き、直接コミュニケーションをとりましたが、家のなかには僕が贈った花の最後の1本が飾られていました。すでに枯れていましたが、とても大切そうに父は飾っていたのです。本当に嬉しかったんだなあという気持ちをひしひしと感じました。思えば、学校に遅刻しそうなときに車で送り届けてくれたり、二人で旅行に行ったり、いろいろな思い出があります。その記憶に焼き付いている父の顔はどれも優しい表情でした。いろんなことがあったものの、父はずっと私のことを大切に思ってくれていたんだなと、目頭が熱くなりました。
このとき、初めて無条件で父の存在に感謝することができたのです。「私は結果を出していなければ価値がない」。そんな自分の中に強く貼り付けられた価値観が、音を立てて切り替わっていったのです。そこからです、スタッフや縁ある人のことを心から愛おしいと思えるようになったのは。一人ひとりが愛されて育っている存在なのだと思ったときに、もっともっと大切に扱っていきたいと心から思うようになったのです。「愛」という概念を身をもって体感し、この概念を大切にしていきたいと決意をしました。
永田 実は私も同じで、「愛」を知り、「愛」に生きることができるようになりました。それが何よりの収穫だと思います。完璧を目指して、完璧でいることが正しいんだ、そう思っていたのですが、受講を通して自分の嫌なところや不完全なところを曝け出しても、周囲は私を嫌うこともなければ、離れることもありませんでした。
反対に私にとってもそうで、パワーパートナーである学びの仲間たちがそうやって等身大に接してくれればくれるほど、むしろもっと仲良くなりたいし、貢献していきたい、力になりたいと思えたのです。等身大の自分でいいんだ、不完全でいいんだと、深く腑に落ちました。どんな自分でも愛されているんだ。
そして、私も相手がどんなに不完全でも愛を持って信じ抜く力を持っているんだと、そう思えたときに、裁く心が消えていき、生きることに対する焦りが減り、自然体に過ごすことができるようになったのです。「愛とは寛容であり、愛は親切です」。結婚式でよく言われる言葉ですが、本当の意味が少しわかったような気がしました。

「伝える」ことが 一番成長する

永田 プロスピーカーとは、ただの肩書でも能力の証明でもなく、生き方だと私は思います。結果を出すことはもちろんですが、自然体で無理せずに生きていることが、周囲への肯定的な影響を生み出していく。そんな存在だと思います。
ですので、無理して目指すものではなく、よりよい人生・よりよい生き方を追求していく過程のなかで見えてくるものだと思います。それを追求するプロセスとして、再受講はもちろん、コースアシスタントや支部会などの場を通して、自分磨きをしていくのです。JPSAとは、そうした生き方のレッスンスタジオといってもよいのかも知れません。
田中 プロスピーカーを目指すなかで、そしてプロスピーカーに合格して以降の活動で、様々な役割が増えていきました。JPSA関連での活動もそうですし、ダンス連盟を始めとした団体の理事などと、おかげさまで様々なチャレンジの場をいただいてきました。どんどん自分の時間が削られるのではないかと、最初は不安もありました。
しかし、いま振り返って思います。むしろ自由な時間が増えました。なぜなら、忙しいからこそ、本当に価値のあることだけを真剣に選びぬいて、時間管理するようになったからです。こういった過程のなかで、第二象限の時間を取り、成果を明確に定義し、逆算してプランを立てること、そして周囲の力を借りていくこと。そういった『頂点への道』講座で学んできたアイディアを、実行し自分のものにしてきたのだと思います。そうして徐々に語れることが増えていき、プレゼンテーションの練習をするごとに人生の棚卸しが進み、自分が本当に手にしたいことは何なのかと、深いレベルでのセルフ・カウンセリングをしていったのです。確かに大変でしたし、苦しいときもありましたが、そのすべてが私にとっては成長の糧となりました。いままで知らなかった自分のよいところ、気づかなかった本当の力をたくさん見つけました。
そして自分の人生を通して、このダンスの魅力を伝えて行きたい、縁ある人たちに幸せを届けていきたいと、強く強く思えるようになっていったのです。豊かな生き方を手にできたのだと思います。学ぶ前は夫婦ともにプレイヤーで個人事業主でしたが、いまは法人化して14年になります。ダンスを広め、ダンスの魅力を伝えたいという経営の目的を果たすために、ダンスを知らない人にいかに伝えられるかを試行錯誤し続け、業界トップレベルの集客率を達成できるようになりました。売上も4倍に、スタッフも7倍になっています。ただ、これはゴールではありませんし、経営という意味では、受講でご一緒する先輩経営者の方々のお話を伺うたびに、まだまだだなと感じます。プロスピーカーになれたことは確実に人生をよい方向に動かすきっかけになっていますが、なってからが本当にスタートだと思います。磨き続け、追求し続けていく人生を送り続けていきます。

学びで高まった基準が 自分を守ってくれる

永田 2021年には、おかげさまで夫婦でシニアプロスピーカーに認定いただきました。8名の仲間との合格で、心の底から嬉しかったです。ベーシックになれたなら、もういいのではないか。そう思う自分もいましたが、経営者・妻・母といった肩書ではなくて、100%フラットな一人間として目の前の人と向き合い、自分らしい生き方を通して貢献していく。JPSAで過ごせるそんな時間が私にとって大切にしたいことに立ち返る何よりの機会なのです。特に女性は出産や育児といったライフステージの変化が多く、その分縛りも多いように感じることもあるでしょう。
しかし、JPSAという環境で、プロスピーカーとして活動し、さらに上を目指していくことを通して、そうした「思い込み」の縛りを打ち砕いていくことができるのです。新しい自分を見つけられる、世界が広がっていく、そんな感覚です。その刺激を学びの仲間が常に与えてくれて、さらに追求したいと思わせてくれるのです。成果が出て当たり前。もっともっとできる。だからこそ、もっと自分に期待できますし、等身大で無理なく前進し続けられるのです。本当にありがたいと思っています。
いまは夫婦揃って、法人研修の講師も担当させていただいております。こうしたアウトプットの機会で、学んできたことが何よりも落とし込まれていきます。これがJPSAでのコースアシスタントを一緒にチャレンジしていくと、相乗効果がすごいのです。人の根底にある素晴らしさを信じられるようになるので、どんなアウェイな環境であっても「みんな恥ずかしがり屋なんだな」と思って、本気で踏み込んでいくことができるようになります。いうまでもなく、それで現場も変わっていきますし、子育ても変化していきます。チャレンジした分だけ、自分の生き方のレベルや基準が上がります。それが等身大で楽しく、全力投球できるいまの私の生き方を守ってくれているのだと思います。
田中 改めて振り返ると、JPSAもそうですし、これまで所属してきた多くの団体もそうですが、何かをしてもらおうというスタンスでいる限りは、その本当の価値の半分も得られないと思います。すべては自分が主体的に取っていく。すべては自分が源だと思って、自分にできる全力を注いでいく。
そうしたときに、新しい成長の機会を得られるのだと思います。それは待っているだけでは決して得ることはできません。目指している理想はまだまだこんなものではありません。ダンス業界はもちろん、縁あるすべての方が、自分のやりたいことを思う存分やり抜いて、望む人生を歩んでいける。そんな社会を、身近なところから実現していきたいと思います。JPSAでいただいているこの舞台をこれからも存分に生かしていきます。

夫婦ともダンサーとして頂点を極めてきた経験を持つ
業界トップクラスの集客率を実現しスタッフとともにダンスの魅力を伝えている

Page Top