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【永吉 英】プロスピーカーという生き方

JPSA認定プロスピーカー永吉 英が、プロスピーカーになるまでの軌跡と生き方を語るインタビューです。

達成と貢献の原点にある大切な人を大切にする生き方
永吉 英 (ながよし ひでる)

有限会社エーツーサイン 代表取締役

1970年10月沖縄県那覇市生まれ。非行に走ることもあった10代を過ごし、数々の職業を経験。その後、「看板」を作るというクリエイティブの可能性を探求すべく、1999年に起業。経営者として数々の葛藤を経験するなかで『頂点への道』講座に出会う。2010年にプロスピーカー試験に合格し、沖縄にてJPSA活動を展開する中心人物として活躍。10年の努力を経て、2020年に沖縄支部の設立を果たした。また、数々の業界団体の役職者を歴任し、地元からも業界からも信頼を集めている。

人の倍、努力してきた人生

何事にもがむしゃらな人生を生きてきました。器用かと言われれば真逆なタイプだと思います。でもその分努力はしてきました。若い頃はモータースポーツのレーサーでした。ミニバイクレースとモトクロスをやっていたのですが、1番を争うあの感覚がたまらなかったです。とことん打ち込んで、結果を出してきました。そして、看板という無限の可能性を秘めている事業と出会ったのです。身の回りのものすべてが素材であり、こだわればこだわるほど、洗練された作品になり、第一印象がまったく変わっていく。そして、それがクライアントのイメージとしっかり噛み合ったときに、ビジネスを活性化させられるだけでなく、多くの人を笑顔に出来るのです。そんな看板の魅力を追って起業したのが1999年でした。
おかげさまで創業以来ずっと右肩上がりで成長することができましたが、売上と同時に上がっていったのが離職率でした。一人また一人と、手塩にかけて大切にしてきた社員が私のもとを離れていったのです。「このままではまずい」。そう思って、たくさんのセミナーに顔を出して、がむしゃらに経営を学び始めたのが創業から10年たった頃でした。そのなかで出会った一人の方から「ビジネスはサクセス、プライベートはハピネス」という青木社長の言葉を聞きました。どこか聞き覚えがありました。実は青木社長の講演を初めて聞いたのは2001年のことで、講演後も何度も咀嚼するように考え続けていました。その記憶が蘇ってきたのです。そうして、アチーブメントの門を叩き、学びをスタートしました。

学ぶほど深く落とし込まれた 「自分が源」という考え方

受講を通して私が得られた一番の価値は、揺るがない生き方を自分の中で確立が出来たことでした。私にとって、それは縁ある人を幸せに導くという使命に生きることです。簡単なことではありません。たくさんの困難や障害と出会いました。そのたびに言い訳をしたくなりました。しかし、そんなときほど、人格が試されます。すべて自分が創り出しているのだと、そして自分がコントロールできるのは自分の思考と行為だけであると心の底から理解し、コントロールできることに集中して、目的を果たす生き方を貫けるかどうか。これが最大のテーマであると思います。受講前はそれができませんでした。うまく行かないことが起こると、誰かのせいにしようと、たくさん言い訳をしていました。私のその在り方が社員が離れていく理由だったのだなと深く噛み締めたのです。
売上や規模などではなく、徹底的にお客様の思いを汲み取り、そしてそれを実現するために本気で向き合うことに、より一層こだわりました。お金にはなるが私たちのこだわりを果たせない仕事はすべて断りました。そして、その想いに確信を持って、社員に伝えられるようになりました。看板を作っているのではない、お客様の未来と、沖縄と、日本の未来を創っているのだと。仕事はもちろん、私の人生そのものの目指す先が再受講をするたびに明確になりました。初受講当時6000万円だった売り上げは、2015年には1億を突破し、今期も過去最高業績を達成できる見通しです。

沖縄を必ず良くするという決意

言うまでもありませんが、沖縄と東京ではまったく文化が違います。ある意味ではのんびりしていて、寛容な人たちが多いのですが、その分何かを追求するという思いもあまり強くないのかもしれません。もちろんそれは良さでもあるのですが、自分の可能性を制限してしまうというマイナスな一面もあります。学びを通してたくさんの方が自分の真価本領を見つけ、そして輝いていかれる姿を見てきました。私はこれを自分自身が体現することはもちろん、縁ある人に対して届けたいと思ったのです。
受講から1年半でプロスピーカーになり、それからJPSA沖縄支部を立ち上げようと試行錯誤をし続けてきました。熱しやすく冷めやすいという県民性からか、「一緒にやります!」と言ったものの、「やっぱり辞めます」と離れていく人がたくさんいました。プロスピーカーまでなったものの、離れていった人もいます。「なんでそこまでして頑張るんですか」と問われたこともたくさんあります。そのたびに苦しかったです。でも、絶対に成し遂げたい目的が私に力を与えてくれました。他人の言葉や状況に左右されて自分の選択を変えるのは簡単です。でも、そんなときほど目的を貫ける生き方こそが、本物なのだと思い、「時間がかかっても絶対に諦めず、沖縄を良くする真のパワーパートナーと出会い、ともに良くしていくのだ」と心に決めて取り組んでまいりました。

社会貢献はまさに 「情けは人のためならず」

おかげさまで、2020年に沖縄支部は設立されました。この地で学びを伝え、縁ある人を豊かにし、そして幸せに導いていくための拠点です。振り返れば、「この取り組みがなんのためになるのか」と言われたことは数知れません。しかし、実際には計り知れないほど大きなものを得てきたと思います。まずは信頼です。私を入れてわずか7名の小さな会社ですが、業界の基準を司る沖縄県広告美術協同組合の理事を10年以上務めており、最年少での理事長にも選ばれ、7年やらせていただいております。また各所での講演にも呼ばれるようになり、私たちを指名で選んでくださっているお客様がどんどん増えています。大手ゼネコンの看板業者には、売上では勝てませんが、お客様の数であれば負けません。お客様に地域社会に選んでもらえるまでに成長し、信頼をいただけているのは、間違いなく目的をみて活動し続けてきたからです。
沖縄の方々にとっての希望となりたい。そして学び続けることによって、小さな一歩を積み重ねることによって、必ず人生は良くなれるのだと伝えたい。その気持ちは、これまでもこれからも決して変わりません。JPSA活動を通して確立してきたこの生き方をこれからも貫き続けて、縁ある人を豊かに導いてまいります。

学校などでも講演活動を担当しており、貢献活動に従事している

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