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INTERVIEW

インタビュー

1969年に「町工場の長男」として生まれながらも、学生時代からジャーナリズムに興味を持ち、記者の職につく。その後、父である先代社長が重病を患ったのを機に家業に戻り、父の逝去によりまったく経営の経験がないなかで3代目社長に就任。数々の挫折を経て、自身の職業観と真剣に向き合うとともに、社員育成に力を入れた結果、就任当時と社員数は変わらずに5倍以上の利益を作り出している。直近期の自己資本比率は70%を超え、この7年間の離職者は実質ゼロ。

創業以来の危機で向き合った 経営者としての在り方

町工場の経営に携わってから20年以上経ちました。急な病で他界した父のあとを継いだのですが、景気回復のおかげで初めはうまく行っていました。しかしリーマンショックで大赤字に転落。2・6億円の売上で9千万円もの営業赤字を出し、経営の安全性を示す自己資本比率は10%以下にまで低下。創業以来の経営危機でした。その直後に出会ったのが『頂点への道』講座です。
3日間の講座で青木先生のお話を聞いて思ったのは「私には目的も目標もなかった」ということ。「会社を絶対に潰してはならない」との思いで必死に働いていましたが、振り返ってみたら組織はバラバラで、経営もガタガタ。これは自分の責任以外の何物でもない。人生理念を考えるなかで、かつて父がつぶやいた言葉を思い出しました。「こんな小さな会社でもな、社員の家族を含めたら50人以上が飯を食っているんやぞ」。その全員の命・人生を私が背負っているのだと改めて噛み締めたのです。縁ある人に幸せを感じてもらえる経営をしたい。60年以上の歴史があるこの会社を必ず良くしたい。そんな燃えるような思いが心に灯りました。

業績は残せても 直視できなかった過去の失敗

学び続けて3年が経った頃、私の言うことを聞き入れない女性社員を感情的に怒鳴ってしまったことがありました。批判する、責める、文句を言う、ガミガミ言う――。いわゆる「外的コントロール」です。彼女は退職し、数週間後に法律事務所から一通の内容証明郵便が届きました。「不当労働行為であり、不当解雇である」と書かれた慰謝料請求でした。「選択理論を学んでいるのに、人を大切にする経営を学んでいるのに、なぜこうなるんだ」と自分を責めました。私の行為は立派なパワハラでした。情けない気持ちでいっぱいです。大赤字がビジネスマンとしての失敗なら、これは「人間としての失敗」だと思いました。
だからこそもっと成長しようと思いました。言行一致の生き方ができているか、毎日自問自答し続けました。理念浸透の取り組みや、社員とのコミュニケーションの改善など、あらゆることに着手しました。
その結果、社員数は変わらずに5千万円以上の黒字を残せるレベルに成長し、自己資本比率は50%を超えて経営が安定していったのです。
誇れる業績だという思いがある一方で、慰謝料請求された過去が私を責めていました。「学んでいてもダメじゃないか。私がプロスピーカーになれるわけがない。いや、なる資格がない」そう思っていたのです。

優等生ではなかった だから伝えられることがある

しかしプロスピーカーには強い憧れがありました。「自分がなってはならない」という矛盾した思いを抱えながらも形だけは2次試験まで進みました。当時、私にはある思い込みがありました。
それは「プロスピーカーとは学びの優等生でありモデルである」というものです。自分はまったく優等生ではない。この否定的解釈というサイドブレーキを強烈に引きながら、プロスピーカー試験を受けるというアクセルを同時に踏んでいました。
2次試験の1週間前でした。私の練習プレゼンテーションを聴いた先輩プロスピーカーが私の心の葛藤を見抜きました。「坂元さんのプレゼンからは共鳴共感が起きない。それは自己開示がないからです。言うべきことを言っていないのではないですか」――。
まさに図星でした。慰謝料請求の恥ずべき過去は、誰にも言えない。ましてプレゼンに入れるなどありえない。
しかし長時間にわたるフィードバックを受けるなかで、彼に慰謝料事件のことを白状しました。すると「プレゼンに入れましょう」と驚天動地の言葉です。
「知る・わかる」と「行う・できる」の間にあるのが習慣の壁。「学んで3年経っても坂元さんは習慣の壁を越せなかった。しかし継続学習でこの壁を越せた、立派な職場を作った」とフィードバックが続きます。
「行う・できる」と「分かち合う」の間にあるのが自我の壁。学んで良くなったら自分だけのものにせず、人々に分かち合うのがプロスピーカーの在り方。
そのためには「できなかった過去」を正直に話すこと、すなわち自己開示が必要であると諭されました。このフィードバックを完全に理解し、1週間後の2次試験に慰謝料事件を入れました。プロスピーカーに合格しました。その日の代表プレゼンに選出されて青木先生や佐藤先生、多くの会員の前で合格プレゼンを披露させていただくなかで「不完全な自分」を赦せた気がしました。

町工場経営者のモデルを目指して

プロスピーカー・チャレンジで私が得た最大のものは心の平安でした。「人はみな不完全。自分を赦し、他人を赦す」という青木先生の言葉が、ようやく腑に落ちました。プロスピーカーとは優等生ではなく、ましてや聖人君子でも何でもない。不完全な過去から出発し、理想の自分を目指して最善を尽くす。もし失敗すれば改善し、できなかった自分を正直に認めてシェアする存在。この学び続ける姿勢こそが人々の見通しになる。これが私の理解しているプロスピーカーの在り方です。
町工場の経営は簡単ではありません。日本経済の長期不振で経営環境は決して楽ではない。古い業界ほど外的コントロールの土壌があります。大企業に対するコンプレックスの克服、社員の自己概念を上げることも重要です。
しかし私たちは日本のインフラやモノづくりを根底から支える、無くてはならない存在です。
だからこそ私はこの業界に対して伝え続けていきたいのです。経営の技術、マネジメントの技術、そして心豊かに生きていく考え方の技術を。まだまだスタート地点に立ったばかりです。自社の繁栄はもちろんのこと、社会の役に立つ町工場経営者として、力を磨き続けてまいります。

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