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【中澤 恵子】プロスピーカーという生き方

JPSA認定プロスピーカー中澤 恵子が、プロスピーカーになるまでの軌跡と生き方を語るインタビューです。

縁ある人の「笑顔」を見たい人生の目的がもたらした豊かな生き方
中澤 恵子 (なかざわ けいこ)

ケイカンパニー有限会社代表取締役社長 一般財団法人日本プロスピーカー協会 認定ベーシックプロスピーカー JPSA山梨支部 支部長

1969年2月山梨県生まれ。大学卒業後、公立中学校家庭科教師として3年間教鞭をとる。その後、美容専門学校に入学、日本エステテック協会の認定エステティシャンとなる。2001年エステテックサロン「Claire」を開業し、お客様の内面・外面・精神面の三面美容をサロンコンセプトとして活動をする。「あくなき美の追求に邁進すること」「お客様に尽くすこと」を大切に日々精進し、延べ2万3千人以上のお客様の施術を担当している。エステティシャン教育にも尽力し、選択理論心理学とアチーブメントテクノロジーを伝え続けている。

成長の頭打ち何かを変えたかった初受講

初受講は、エステティックサロンを開業して12年が経ったころでした。10年は努力の甲斐もあり、売上は順調に伸びましたが、それ以降はほぼ横ばいでした。これからの方向性を学ぼうと、業界の著名な先生方の講演を聞くと、皆さん圧倒的な成果をお持ちでした。私も見習ってもっと成果を出さなければいけないのかなと思っていた頃に、ご紹介で受講をしたのが『頂点への道』講座でした。成果・規模拡大のアイデアを求めていましたが、そもそも成果・規模を拡大する目的が不明確だと気づきました。「まわりがそうしているから」となんとなく思っていましたが、何を大切にすべきかは、他人の意見や世の中の常識ではなく、自分自身で決めることだと学び、その判断の土台となる「目的」を明確化したいと思ったのです。
「この人生で、私はエステを通してお客様に何を提供したいのか?」この答えを探そうと、中途スタッフ採用強化、新卒採用、施術方法の変更、施術メニューの増設など、新しいことに様々挑戦をしましたが、見つかりませんでした。「自分には目的がないのか?」「やはり成果がなければ描けないのか?」そんな葛藤を持ちながら、1年以上過ごしました。

自分と向き合った10か月 手にした本当の目的

そんな状況を打破したきっかけは、まさしくプロスピーカーチャレンジでした。「自分を変えたい」と覚悟をして取り組みましたが、正直思っていた以上にハードでした。「人生の目的はなにか?」と自問自答を繰り返しても、案の定納得の行く答えは簡単には見つかりません。「美容を通して縁ある人を幸せにする」と掲げても上辺な言葉で身が入らず、「すべてを差し置いてでも成し遂げたいか?」と聞かれると、素直に頷けない自分がいました。
そこから6か月間のプロスピーカー・トレーニング・プログラム、そしてプロスピーカー試験までのトレーニング期間で何度もプレゼンテーションを繰り返しました。話せば話すほど迷走し、思いがまとまらず、とても苦しかったのですが、先輩プロスピーカーの的確なフィードバックのおかげで、少しずつ思いが洗練されていきました。そうして見つかったのが、「お客様の喜びを創り出すこと」でした。これまで数多くのお客様に接してきましたが、実は私自身の肌が弱く、かつてとても悩んでいました。化粧品によってひどく肌荒れが起こることもありましたが、自分の肌に合った化粧品を見つけたことで長年抱いていた悩みが解消されました。肌状態が良いだけで女性として自信が生まれ、心から感動したのを憶えています。エステティシャンとは、化粧品の選び方を含め、お客様のお肌のケアをサポートする仕事です。
つまり、お客様の人生を変える可能性があると信じていたことを思い出しました。そんなお客様の感動の声に触れられることが私にとっては一番の喜びであり、それは規模で測るものではなく、質で測るものだと腑に落ちたのです。心のブレーキが外れた感覚で、そこからは規模よりもサービスの質の向上に集中して取り組んできました。

愛する山梨の地に希望を

明確になった目的はもう一つあります。それは、生まれ故郷である山梨の地への貢献です。エステティシャンになる前、私は中学校の教員をしていました。思春期真っ只中の子どもたちは、気難しい一面もありましたが、何事においても成長が早く、希望に満ちた環境でした。その中で、彼らの可能性を伸ばせる仕事が私は大好きでした。しかし、ある事件によって一気に崩れ去りました。信じがたいことに、校内で殺人事件が起こったのです。加害者も被害者も生徒で、クラスは隣同士。その日を境に、学校全体がガラッと変わりました。修学旅行を始めとした様々なイベントが中止となり、生徒たちから未来への希望が消えました。加害者の生徒の担任の先生はもちろん、校長先生も含めて多くの人がキャリアへの希望を失いました。何もかも変わってしまったのです。その状況を良くしようと頑張りましたが、私一人では何も変わりませんでした。
ついに、耐えきれなくなって転職の道を選んだのです。私の心の中には、その罪悪感がずっと残っており、「周りを見捨てて苦難から逃げた人間」というレッテルを自分に貼っていたのです。その心の傷をずっと引きずって生きていましたが、「もし選択理論をみんなが知っていたら?」と考えると、きっと結果は変わっていたと思いました。被害者の子の命も失われなかったかも知れないですし、多くの関係者の人生も狂わなかったかも知れません。過去に起こったことは変えられませんが、私ができる最大限の償いは、同じような出来事が起こらないように、山梨にこの情報を届ける以外に無いと思ったのです。特に力を入れたイベントが2つありました。一つは、甲府青年会議所での講演会です。かつて教員だった頃の教え子が理事長を務めており、過去を共有できたからこそ、お互いの思いに非常に共感し合いました。地域を良くしていこうと決意を固め、約500名を集客して青木社長に講演に来ていただけたのです。
そして2つ目が、JPSA山梨支部での1周年記念講演会です。多くの方に知ってほしいという思いから、県の教育委員会をはじめとした行政組織に協力を依頼し、8団体から後援をいただくことも出来ました。280名で開催され、新聞などにも取り上げられ、納得の行く結果で終えることが出来ました。目的の力が、支部や地域までをも巻き込むと学んだかけがえのない経験でした。

揺るがぬ目的に邁進し得られた人生への納得感

プロスピーカーに無事合格をしてから4年の月日が流れました。サロン事業と山梨での貢献活動は私にとって、前進するための両輪です。貢献するからこそ生きがいが生まれ、新たな方と出会え、自分自身の人格が磨かれます。そして、もっと自分を高めようと思えるのです。高めたスキルがまた、ビジネスに生きるのです。
今年の5月には、念願のオリジナル商品をリリースしました。これまで2万3千人の施術を通して培った私の経験と、最先端の技術を融合させて、実現した美容液です。既存商品を基にした開発が業界としては一般的ですが、今回はパワーパートナーの力を借りて、完全オリジナルでとことんこだわって制作しました。プロが本当に必要だと感じたお客様だけにお勧めして喜んでいただきたかったので、あえてネット販売はせずサロン限定の卸売商品にしました。この決断が出来たのも、多くの方の協力を集められたのも、目的が明確になったおかげです。その他に、私が培ってきたノウハウを多くのサロンで分かち合い、さらなる質の高い経営へのサポートもしています。
目的が明確化したおかげで、他者との比較から完全に解放され、心から納得の行く「お客様と地元山梨に貢献する生き方」に100%集中できるようになりました。JPSA活動は私にとって、目的に生きるための大切な手段です。そして、生きがいに溢れる豊かな人生を与えてくれるトレーニングの場です。これからも愛する山梨の地に、そしてエステ業界に貢献し、目的から一貫した生き方を全うしてまいります。

地域・学びの仲間を巻き込んで280名の参加者を集めメディアにも取り上げられた講演会

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