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INTERVIEW

インタビュー

日本生命に入社後、当時5歳と3歳の娘の育児、主婦業をしながら、保険セールスの第一線で活躍。入社以来、ニッセイグランプリ連続受賞。現在、終身ニッセイクラブ会員、MDRT会員。2007年JPSA埼玉支部長就任以来、プロスピーカーの育成に積極的に取り組み、プロスピーカーの輩出に貢献。2008年に女性初のシニアプロスピーカーに合格。コースアシスタントに参加することが何よりの喜び。「相手の望みを叶えることを我が望みとする」が生涯のテーマとして日々活動している。

駆け抜けた10年。 もたらしたのは〝綻び〟

生命保険業界に飛び込んで約30年が経ちました。初めて保険の仕事をはじめたきっかけは、主人の保険の見直しをしに来た担当の方から誘われたことです。お話をいただいたときは、自分にできるのかという懐疑心がありつつも、家計の支援と、子どもの養育費を貯めようと就職することにしました。
しかし、当時、5歳と3歳だった子どもの顔を見ると思いが鈍りました。出社の前日「お母さん働いてもいい?」と聞くと、本人たちも何かを感じたのか「いいよ」という言葉に胸が熱くなりました。「子どもたちを経済的に守るためにも、どんなことがあっても負けるわけにはいかない」という思いで家を後にしました。
当時は、バブル期。いちサラリーマンにも、5千万円の保険が売れる時代です。加えて、負けず嫌いだった性格も幸いし、かなり早くから成果が出始めました。幼稚園と保育所に子どもたちを車で送ってから出社。上の子どもを昼過ぎにまた迎えに行き、別の場所に預け、夕方には下の子を迎えに行く生活。限られた時間の中で、アポ取りと面会を行い、子どもが病気の時も電話で面会をするなど、必死で駆け抜けました。結果、毎年社内表彰を受賞。比例して目標もどんどん高くなっていくと、当初は、9時~17時までの勤務で始めた仕事も、休日や夜中や早朝に面会をするなど、徐々に一日の中で占める割合が増加していきました。
しかし、順調だった仕事とは逆に、家庭では綻びが出始めました。家族と約束していた休日の予定。土日も仕事を優先するようになっていき、徐々に夫とは口論が絶えないように。当然、その姿を見る子どもたちともぎこちない関係になっていきます。入社から16年の月日が流れていましたが、成果は上がるどころか、初めて社内表彰を逃してしまったのです。プライベートだけでなく、社内でも自分の成果を中心で見ていたのかもしれません。「振り返ると誰もいない」状態でした。

「忘れていた何か」を思い出し て得た確信

そんなとき、社内で選抜されたメンバーが受ける営業研修があり、講師をされたのが青木先生でした。それまで山ほど研修を受けてきましたが、それらは「どうしたら保険が売れるか」という売り手視点の研修ばかり。しかし、そこで青木先生がおっしゃったのが、「愛や理念を土台にしたセールス」でした。「保険に愛が必要なのか?」、そんな思いとともに、もっと今の自分の状況をよくしたいと、2006年に『頂点への道』講座を受講したのです。
受講を通して、自分がうまくいっている部分、うまくいっていない部分のそれぞれの現象に対する理由が一つひとつ、腑に落ちていきました。
中でも、最も自分にとってその後の生き方を決めたといっても過言でないことが、「私が成功しなければいけない理由」の明確化でした。なぜ自分は保険業界に飛び込んだのか、誰のために、何のために、なぜここまで頑張っているのか。これまでの人生が走馬灯のように思い起こされたのです。夫、子どもとピクニックに行ったときのこと、四人で楽しく食事をしたときのイメージが頭をよぎりました。「ああそうか、本当に大切なものは家族だ、そのために頑張ってきたんだった」。あのとき、就職を送り出してくれた子どもたちの姿とともに、夫と子どもへの感謝で溢れたのです。
そして「私が成功しなければいけない理由」として五つを出しました。一つ目は「夫に今一度尽くすため」、二つ目は「今まで心配させた両親を安心させるため」、三つ目は「寂しい思いをさせた子どもを安心させるため」、四つ目は「私を信じてくださったお客様にもっと貢献するため」、そして最後は「この世に生を受けた自分を精一杯生かすため」と書きました。家族に対しても、外的コントロールの関わりから、相手の願望を明確にする傾聴の姿勢を中心とし、願望を支援する関わりを実行していったのです。
仕事においてはアッパーマーケット開拓をはじめとした第二象限に注力。セールスの手法も劇的に変化し、契約をもらうことがゴールではなく、「私がこんなご家族をお持ちの方だったらどんな保険に入りたいだろう。私がこの経営者だったらどんな保険に入るのがそこに属するご家族や社員も守れるのだろう」。そう考えると、面会の意味、そしてプレゼンの質が変わりました。相手とその周囲の方に寄り添い、「相手の望みを叶えることを自分の望みとする」セールスへと変化するとともに、ご紹介も増加。成果は受講前よりも伸び、MDRT基準も達成。その後も継続して成果をあげ、2016年には過去最高売上を達成しました。
アチーブメントが伝える情報への確信は、自らの変化があったからだけではありません。研修に行っては変わってくる私を見て、娘が20歳を期に『頂点への道』講座を自ら受講。継続学習を続けた結果、「人の役に立てる人間になりたい」と倍率の高い県警の採用試験を突破しました。この情報に触れたことで「自らの生きる目的」を明確にし、幸せに歩む姿。二人の娘が、常々私への感謝の言葉を述べてくれる姿。自分が変わったことで、身近な人の人生にも肯定的な影響を与えることができる。だからこそ「誰でも、物心両面で豊かになれる」というこの情報への強い確信を、私は強く持っています。

「その一言」に、 他ならぬ自分が成長

その確信を広げるため、2006年にはベーシックプロスピーカーに、2年後には女性初のシニアプロスピーカーに合格し、埼玉支部支部長としての役割もいただきながら、多くの方の継続学習のお手伝いをしています。コースアシスタントはこの10年間で80回近く。「貢献したい」という100%の思いで目の前の方に誠意をもって向き合うと、その方の「さりげない気づきの一言」に私自身が人間としての見方、相手の立場にたって考えることの拡張、もっと言えば「愛」が大きく、深くなります。その人間としての器の拡張が、より多くの方々の願望に寄り添える能力開発となり、ときには相手に踏み込んだフィードバック、さらには仕事でのセールスにおいても確実に繋がっているのです。学び続けて、20年たってなお、「与えれば与えられる」という原則を日々実感しています。
2018年には、埼玉支部・おおみや支部が連携して、念願の埼玉ATCを開催することができました。ただ、こうした動きを、全国の支部が連携し、もっと数を増やしていかねばなりません。毎日飛び交う、社会の悲しいニュース、あらゆる問題を解決したい。そのためには、「指導者の指導者」、つまりベーシックプロスピーカーがもっと増える必要があります。そんな使命感は、日々ますます強くなるばかりであり、だからこそ私自身が学び、命ある限り貢献の人生を歩みます。
「伝える」ということには大きな可能性があります。道半ばとはいえ、私が手にしたように、物心両面の豊かさは「技術」として体得ができる。それを、その人にしかない体験に乗せることで人の心は動き、社会は必ずよくなる。人の持つ可能性を信じ、同志たちと貢献に生きていきます。

学びはじめて10年を超えてなお、継続学習とともに、JPSA埼玉支部 支部長として、周年行事・埼玉ATCの開催など情報を伝え続ける
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