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【小島 清一郎】プロスピーカーという生き方

JPSA認定プロスピーカー小島 清一郎が、プロスピーカーになるまでの軌跡と生き方を語るインタビューです。

自分の理想を信じ、高みに挑み続ける指導者として
小島 清一郎 (こじま せいいちろう)

KFSグループ 代表

1981年、福島県福島市生まれ。会計事務所を経営する父の存在を前に、自他ともに跡継ぎを意識しながら育つ。大学卒業とともに入社し、実務経験を積みながら現在は2代目経営者として会社の舵取りを行っている。福島と東京にて、顧客に対する経営サポートを実現すべく、起業支援や経営支援、保険代行業など多くの業種に活動の幅を広げ、現在は5つの会社を経営している。

出口の見えない苦悩の日々

福島で会計事務所の経営をしており、私で2代目となります。創業者の父は非常に厳格な人でした。毎日のように怒られていた記憶が今でも蘇ります。共に会社を切り盛りしていた母が亡くなったことをきっかけに、「一刻も早く息子を一人前にしなければいけない」と、父の外的コントロールにより一層拍車が掛かりました。しかし、会社や社員を守ろうとするその気持ちとは裏腹に、離職率は86%。一人また一人と会社を去っていく中、東日本大震災が起こったのです。そしてさらに追い討ちをかけたのが、右腕であったナンバー2の離職でした。この一連の出来事で深い傷を負った父は、ほどなくして引退し、同時に私が2代目の代表に就任しました。
信じていた人に裏切られ、頼れる人は誰もいない、でも前に進まなければ会社が潰れてしまう。そう思い、とにかく必死に働き続けました。ストレスによる急性胃腸炎は日常茶飯事で、精神的にも肉体的にもギリギリの状態で経営をしていました。一体いつまでこの状態が続くのだろうか、いつまで見えないゴールに向かって頑張り続ければ良いのだろうか。拭い去れない不安と闘う頻度が増えていった頃に、知人の紹介で、『頂点への道』講座と出会ったのです。 職業柄もあり勉強は人一倍してきました。その上、セミナーもたくさん通っていたので、初めは講座にそこまで期待していませんでした。しかし、「私の人生は私に責任がある」という青木社長の一言に、頭を殴られたような衝撃を受けたのです。それまで、誰よりも頑張っているという自負があった分、うまくいかないのは周りの人の努力が足りないからだという考え方が私を支配していました。ですが、本当の原因は私自身にあるのかもしれないと気づくことができたのです。「ここで学び続けたら何かが変わるかもしれない」と、継続学習への一歩を踏み出しました。

「伝わる」を作り出す一番大切なもの

受講を進める中、一番のターニングポイントは、ピークパフォーマンスコースでした。とあるセッションで、心を動かす伝達力を目の当たりにし、自分という人間の枠組みを超えて他者に影響を与えることの大切さを噛み締めたのです。同時に、自分の成長や成果にばかり焦点を当てるのではなく、分かち合うことを通して、周囲の人を豊かな人生に導いていく生き方がしたいと強く思ったのです。
その後、伝達力の向上を求めて、迷うことなくプロスピーカーにチャレンジしました。プロスピーカー・トレーニング・プログラムを経て、自信を持って挑んだ1回目の試験でしたが、結果は不合格でした。「あなたの基準はこんなものじゃないですよね?」そんなメッセージを感じました。確かに周りからは実績を含めて高い評価をいただいていましたが、自分自身、納得はしていなかったのです。
これをきっかけに、ここまでの学びと私の人生そのものを振り返ってみました。気づいたのは、これまでは他人の評価や価値観に生きていたということです。父に厳しく育てられた影響もあり、子どものころから人目を気にしていた思考習慣が、根強く残っていたのです。しかし、いくら成果を上げたとしても、周りから「すごい」と言われたとしても、他でもない自分自身が「やりきった」と心から言えない限り、その目標達成はアチーブメントゾーンではなく、コンフォートゾーンに留まってしまうのです。周りの評価に生きている限り、どれだけ頑張っても本当の意味で納得感は生まれません。大切なのは、自分の中にある基準を信じて高め続けていくことなのだとチャレンジを通して学んだのです。

チャレンジに比例して更に伸びた実績

他人の評価や基準に流されなくなったことは、私にとって一つのパラダイムを突破した経験でもありました。自分が掲げる理想に対して、いま選択していることは果たして本当にチャレンジゾーンなのか。他者評価を一切排除して、自分の心に問うた時に、「いや違う、まだまだ出来る」という声が聞こえたのです。
そこで、まずは徹底的にプランニングにかける時間を増やしました。自分自身の人生計画に始まり、経営している5社のそれぞれのあるべき姿から逆算された事業計画など、手帳の他に会社ごとの経営戦略をまとめた計画書を作り、常に持ち歩くようにしました。そして、毎日時間をとって、数ヵ月先から1年先までのイメージを具体的に描いてから今すべきことを洗い出して、プランをブラッシュアップしています。
また、社員教育にもしっかり力を入れるようにしました。個別に面談をしたり、願望を聞いたりすることはもちろんですが、担当コンサルタントを招いて社内勉強会を開いたり、社員受講を勧めたりと、学びの機会をどんどん提供していきました。徐々に社内でも受講者が増えていくに連れて、自然と価値観が統一し、共通言語が生まれていきました。その上、成果を出すための考え方を学んでいくので、社員の問題解決能力がどんどん高まっていきました。私に相談したら何を言われるのか想像できるくらいに、学びが共有されたことで、いい意味で相談者の数は減っていきました。社員の一人ひとりが、会社の価値観に沿った意思決定が出来るようになっていったのです。
その結果、プロスピーカーにチャレンジする前よりも、第二象限に投下する時間の量が格段に増えていきました。どうしたらもっと社員が自己実現できて幸せになれるのか、優秀な人材が育つ仕組みとは何なのか。渦巻く疑問とひたすら向き合い、人事制度や採用の仕組み、給与体系や福利厚生など、1つずつ納得の行く答えを出し、実践していったのです。これらの取り組みが1つの形となり、2度目のチャレンジでプロスピーカーに合格をすることが出来ました。
合格前から徐々に向上していた社員満足度や顧客満足度も、お陰さまでさらに伸び、86%だった離職率は現在では4%に落ち着きました。売上も順調に伸び、毎月5件以上のご紹介をいただけるようになりました。私の努力というより、社員が力を貸してくれたおかげです。かつて、辞める一歩寸前だった社員が今では新入社員の教育を担っております。そんな社員一人ひとりの成長に支えられて、今の会社が成り立っているのです。

「貢献」の使命に生きる

福島という地は、震災の影響による外的コントロールを今なお受けています。福島県民というだけでいじめられることも、まだまだあります。私はこの現状を変えたいのです。大切な社員とお客様がいる限り私は絶対に逃げません。そして、子供たちが将来安心して生活ができ、いじめ差別を受けない世の中を実現していきます。そんな思いで、仲間とともに立ち上げたJPSA福島支部も、少しずつ活動の幅を広げており、2017年9月には福島でのアチーブメントテクノロジーコースの開催が実現しました。まだまだ道半ばではありますが、福島への思いを形にする大きな一歩となりました。
チャレンジの背景にはもちろん環境的な側面も大きいですが、周りに左右されずに自分の基準と向き合い続け、高められて来たことが大きいと感じています。今もこれからも、現状に甘んじることなく理想を追い続け、成功の技術を自らの体験を通して分かち合っていく存在として、縁ある人に貢献し続けていきます。

福島の仲間と主催をした講演会は、約1000名の集客に成功

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