COLUMN コラム・インタビュー COLUMN コラム・インタビュー

【城戸 宣彦】プロスピーカーという生き方

JPSA認定プロスピーカー城戸 宣彦が、プロスピーカーになるまでの軌跡と生き方を語るインタビューです。

夢や希望を掲げ、真っ直ぐに生きる後押しをする存在として―
城戸 宣彦 (きど のぶひこ)

外資生命保険会社 部長

1970年長崎生まれ。大手旅行代理店での営業経験を経て、2005年に生命保険業界に転職。不安を掻き立てるのではなく、顧客の立場に立ち共に未来を描くセールスが周囲からの評判を集め、初年度から数多くの社内タイトルを獲得している。また、生命保険と金融サービスの専門職のうち毎年約0.2%が基準達成するといわれる2017年度のCOT会員でもある。

劣等感を糧に走り抜いた半生

幼少期を振り返ると、いい思い出よりも辛かったことの方がたくさんあったように思います。両親が離婚をし、母と借金を抱えてやってきた新たな父と義理の妹との生活が始まったのは小学生のころです。家庭は貧しく、小学5年生からは新聞配達をしてお金を稼ぎ始めていました。そんな状況に追い込んだ実の父と義理の父には、恨みに近い感情をずっと抱えていて、「愛されて育った」とは言い難い生い立ちでした。
人一倍苦しみを経験してきた分、「どうにかして良い生活を送りたい」という気持ちを人一倍蓄積してきたのだと思います。大学卒業後には大手旅行代理店に就職し、営業の世界に飛び込み、来る日も来る日も仕事に明け暮れ、文字通りがむしゃらに走り抜けてきました。生い立ちに強いコンプレックスを持つ私にとって、仕事で成果を出すことこそが自分の価値を証明する唯一の方法だったのです。幸いにも上司やお客様との縁に恵まれ、たくさんの指導を頂きながら、営業成績では社内で上位にランクインする成長を遂げることができました。
そして、さらなる可能性を追い求めて、35歳のときに外資生命保険会社に転職をします。前職で学んだ、愚直に成果を追う働き方が功を奏し、1年目から社長杯入賞を果たし、その後も社内タイトルを様々獲得してきました。地位や名誉を手にすれば幸せな人生を送れると思って必死に生きて来ました。ところが現実は違って、実績をいくら手にしても心の中では拭い去れない不安が私を蝕み続けたのです。「いつまでこの成果を継続できるのだろうか」、「もし明日から売れなくなってしまったら…」。脳内に渦巻くその負の感情は日に日に増していき、4年目を迎えた頃にはついに成果が伸びなくなってしまったのです。
「このままではいけない、どうにかしたい」と模索する中で『頂点への道』講座に出会いました。

自分への愛おしさが全ての原点

正直初めはあまり前向きな受講生ではありませんでした。弱みを見せまいと取り繕い、意地を張っていたのだと思います。しかし、受講が進むに連れて自分自身と真剣に向き合う回数が増えていきました。これまで生きてきた人生を総整理するように振り返ってみたところ、過去の自分を客観視することができました。そのときに「頑張ってきたじゃん、俺」という心の声が聞こえたのです。自分に対する捉え方が変わった瞬間です。「足りない部分を埋めなければ自分には価値がない」という価値観から、「このままでも十分に素晴らしい」という価値観へと変化したのです。常に周りと闘っていた緊張感から解き放たれたような気持ちで、苦しみながらも、逆境に屈しなかった自分の頑張りが誇りに思え、初めて認めてあげられました。自分のことがとても愛おしく感じたのです。
同時に脳裏には、母を始めこれまでお世話になった方々が浮かびました。確かに順風満帆な人生ではなかったです。誰かに愛されたくて、気にかけてほしくて、子供の頃は不良少年として生き、社会に出てからは成果で注目を集めようとしていました。しかし、そんなことをしなくても大切に思ってくれて、支えてくれて、愛してくれた人はたくさんいたのです。その一人ひとりに対して溢れるような感謝の気持ちが芽生えました。
以降、劣等感の穴埋めではなく、「大切な方々に恩返しをすること」や「縁する人に貢献をすること」が私の生きる理由となりました。働き方が変わり、お客様への言葉掛けが変わり、プレゼンテーションの内容が変わり、保全の姿勢が変わり、周りからの評価が変わり、協力者の数が変わり、成果が変わりました。MDRT に加えて、COT 基準を達成し、エグゼクティブと呼ばれる最高職位につくことも出来たのです。

貢献の人生を歩む何よりの肩書き

望む成果を手にすることが出来た今、改めて振り返って思うのは、私が掴んだ成功は偶然の産物ではなく、受講を通して身につけてきた「技術」によるものです。自分自身と深く向き合い、心のブレーキを取り除き、貢献心を持って相手の立場に立つ。そして、計画力と実行力を高める。このどれもが、正しいトレーニングを通して、体得していくことが可能な技術なのです。
この技術をお客様や周りの方々に分かち合うことで、一緒に豊かな人生を歩んでいける見通しも、さらなる成果に繋がっていく見通しも明確にありました。だからこそ、伝える力をもっと身につけたいと思いました。ならば、まずは「プロスピーカー」という肩書きを持つことが、自分の言葉に説得力を持たせるために必要なファーストステップだと思ったのです。
そうして踏み出したチャレンジの道のりですが、多くの時間を割くということなので、もちろん仕事には支障が出ます。だからこそ、私にとっては、逆算をして前倒しで目標達成することへの大きなチャレンジでもありました。週の稼働日が半分に減ることもありましたが、繰り返されるプレゼンテーションで明確化していく志と、向上していった伝達力のお陰で、私の思いを代弁してくれる方が増え、「保険に入りたい」という声があとを絶たなかったのです。結果として、プロスピーカーチャレンジをする前よりも、さらなる成果を作り出すことが出来たのです。
なによりも、その過程でたくさんの方にお世話になりました。プレゼンのフィードバックを丁寧にしてくれた先輩プロスピーカーや家族や地元の学びの仲間。決して一人では手にすることが出来なかった肩書きですし、支えてくださった方々に対する感謝の思いがまた一つ私の頑張る理由に変わっていったのです。

夢を持つ素晴らしさを教育の業界に―

思えば不良少年だった私に正しい道を示してくれたのは、中学時代の学年主任でした。周囲から「欠陥品」のレッテルを貼られ、悪事があればいつも私が疑われました。学校からの呼び出しも、警察沙汰になった際も、謝罪をするのはいつも母。「申し訳ないな」と思う一方、周りの私に対する扱いは悪化の一途を辿るばかり。更生なんて無理だと思い込んでいました。ある日、その先生に生徒指導室に呼ばれ、怒られると思って恐る恐る扉を開けると、そこには多くの参考書があったのです。「勉強してお母さんを喜ばせてあげなさい」という言葉をもらい、涙が止まりませんでした。縮こまっていた私の背中を押してくれたのです。今は既に亡くなられており直接お礼をお伝えできませんでしたが、その出来事が私の人生を変えたのです。
教師はそれだけ、生徒に影響を与える立場です。教師がどれだけ生徒の可能性を信じているかで生徒の生き方が変わっていきます。人は誰しもが、心の中に夢と希望を抱いています。豊かな人生を歩む力を秘めています。しかしそれを発揮できるかどうかは、環境次第とも言えます。だから私は、人生を扱う生命保険という商品を通じて、そして支部や講演会でのプロスピーカー活動を通じて「夢を持ち、夢を本気で追う素晴らしさ」を伝え続けています。私に人生を変えるきっかけをくれた先生のような方を一人でも多く増やしていくことが私の生きがいです。
実は、私のお客様の約3割が教師という縁もあり、毎年中学校での講演の機会を頂いています。頂ける貢献のステージが毎年広がっていくことに感謝をしながら、これからもプロスピーカーとしての使命を全うしていきます。

地元の仲間とともにプロスピーカーとして活動している
数々のチャレンジを支えた大切な家族

Page Top