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INTERVIEW

インタビュー

1974年生まれ。2000年に有限会社ケアウェーブを設立以来、年間延べ1万人以上のクライアントに鍼灸マッサージを提供する。また、健康保険を適応させた鍼灸治療院とともに、デイサービス施設を経営している。自らが視力障害を持って生まれ育った経験を通して、現在では障害者の就労支援を行う。障害を乗り越えてきた実体験から語られるメッセージが評判を集め、講演家としても活躍をしている。

「私は不幸だ」そう想い続けてきた半生

網膜色素変性症で生を受けた私は、視覚障害というハンディキャップを背負ってこれまで人生を送ってきました。小学校・中学校と普通の学校に通ったこともあり、何をするにも周囲との比較で、「自分は劣っている」ということを突きつけられた日々でした。勉強についていくのが難しく、目が見えないということで差別を受けることもしばしば。他人とのコミュニケーションに、常に恐れを感じ、「私は周りに嫌われているんだ」と思い込んでいました。「盲目に生まれたのが、なぜ自分だったのか」と何度この運命を呪ったか、わかりません。
高校卒業後は、盲学校に進学し、そこで鍼灸マッサージを学びました。当時の私にとっては、残された唯一の道だったのです。挫折に挫折を積み重ねて、「私は社会にとって不良品だ」という考えが心に根付くようになりました。道端の自動販売機で飲み物を買おうとして、不意にコインを落としたとしても、人の力を借りずに、自分ひとりで拾うことでさえ難しいのです。「目が見えないのはひとつの特徴であって欠点ではない」と思いたかったものの、否定的な思い込みがそうはさせませんでした。
そんな自分でしたが、心のどこかで「もっと良くなりたい」とも思っていました。社会に出てから2年後、福島県いわき市で、一歩踏み出すきっかけにと思い、開業。経営者としての道を歩み始めました。しかし、始めたものの、経営やマネジメントを学んでいたわけではないので、なかなか思うように上手く行きません。どうしたものかと、あらゆる能力開発の書籍やセミナーに手を出してみては、実践まで落とし込めずにやはり挫折の連続でした。そんなときに、ご紹介を頂いて参加したセミナーで青木社長のお話を聞きました。とても実践的な内容で私でも変われるかもと、これまでにない期待を抱くことが出来たのです。
それをきっかけに『頂点への道』講座の受講が始まったのです。

「変化の兆し」と「第二の障害」

スタンダードコースを初めて受講した時に、青木社長が「感謝を行動で示すこと」についてお話をされていたのがとても印象的でした。それはつまり自分から相手に差し出すことです。思えば自分は、障害を持っていることを理由に「何かをしてもらおう」と求めてばかりでした。「自分から何かを差し出す」ということが足りないのではないのかと、その時に感じたのです。まずは出来ることを実践してみようと、その日の夜に食事をしていたホテルのレストラン従業員に笑顔で接し、感謝を言葉で伝えるように心がけました。すると受講で宿泊した初日は冷たかった態度が明らかに優しくなり、目が不自由な私を気遣ってセルフサービスのコーヒーをわざわざ運んできてくれたのです。自分の関わり方次第で、相手の態度がこんなにも変化するのかと、衝撃を受けました。もしかしたら、私がこれまで悩んでいた人間関係の問題は、私に原因があるのかもしれないと、深く考えさせられた機会でした。
社員との関係性も実は同じでした。相手が悪いと思い込んでいたところから、自分が変われば良い関係を築けるかもしれないと考え方が変化してからは、マネジメントや経営に対して、根本から見直しを図り、改善に勤めました。成果がでない期間が続いたものの、6年間の基礎固めを経て、人間関係も成果も安定。そこで、新たに2000万円を投資して、デイサービス事業も立ち上げ、ようやく軌道に乗り始めたと思った矢先、人生の第二の障害が突如として訪れました。東日本大震災です。
原発の近くに住んでいたこともあり、震災後は2週間ほど、家を出られない日が続きました。治療院はどうなっているのか、患者様や社員はどうなっているのか、まともな情報がないまま時間だけが過ぎていきます。一カ月ほど経った頃、ようやくの思いで確認しに行くと、デイサービスの建物は、津波に完全に流されていました。本院の売上も三分の一へと激減し、事業を続けられるかどうかの瀬戸際に追い込まれたのです。

逆境の中で見つけた本当に大切なもの

しかし、それでもこの地に留まるという決断を支えたのは、患者様の声でした。「院はいつ再開するの?」一本の電話を頂いて、我に返ったのです。お金に困っていた時に差し入れをくださったこと、なかなか事業が上手く行かない時に患者様を紹介してくださったことなど、多くの援助があって、ここまでやってきたことを思い出し、地元の皆さんの役に立ちたいという思いが湧き上がってきたのです。大きな逆境に苛まれ、大変な思いをしている方が多い今だからこそ、まずは「自分」が立ち上がり、町に地域に貢献していきたい。その「自分から差し出す心」が迷いを断ち切り、前に進むことだけに集中させてくれました。地元のみなさんにとって、気軽に通える院として、何かあった時に帰って来られる場所として、心の拠り所として、精一杯のことに取り組み始めたのです。
ガムシャラに突き進む中で感じたのは、利益を追うよりも、患者様の心に寄り添ったサービスを提供出来ていることのほうがよっぽど充実感があるということでした。自問自答を続け、私が心から求めていたのは、成果や名声、勝ち負けではなく、周囲の人との温かな人間関係であることに気が付きます。家族がいて、社員がいて、患者様がいる。ずっと不足感にかられていた人生で、必死に足りない穴を埋めようと行動していましたが、心の底から本当に求めていたものは、既に手に入れていたのです。「もう埋めようとしなくていい、私はこのままでも良いんだ。だから自分らしく周囲に貢献していこう」そう心から思えました。自分を不幸にしていたのは、障害という事実への「否定的な捉え方」だったのだと腑に落ちたのです。

加速する貢献、プロスピーカーとしての使命

震災から5年以上が経ち、再スタートしたデイサービス事業も、治療院事業も、これまでにない成長をみせています。一時期には1億円以上まで膨らんでいた借金も、経営が安定してきたお陰で半分以上減り、返済の見込みが見えてきています。また、自分自身への捉え方や扱い方が肯定的に変化したお陰で、他人に対しても同様に優しく接することが出来るようになり、社員とのコミュニケーションの質が向上しました。今では、人間関係や職場への不満で退職をする人がほぼ0へと減少したのです。
2016年には、一連の取り組みと変化を評価いただいて、プロスピーカーの称号に認定いただきました。次はメッセンジャーとして、社会貢献をしていく番です。
現在も地元のいわき市で毎月勉強会を主催しておりますが、今後も講演を通して「障害が人を不幸にするのではなく、自分の考え方が変わればどんな障害を持っていても必ず幸せに生きることが出来る」というメッセージを、一人でも多くの方に届けていきます。
加えて最近では、障害者の就労支援活動も開始しました。本当に大切なのは、雇用の仕組みを作ることよりも、障害者を受け入れる企業のトップが「障害を持っていても幸せになれる」という確信を持っていることです。そうしない限り、「障害者は自立して働ける」という前提に立った関わりはできず、本当の意味での就労支援は実現されません。その考え方を地元の地を皮切りにお伝えしていけるよう、プロスピーカーのミッションに命を使っていきます。

丁寧な施術が人気を集めている
自らが学んできたノウハウを講師として伝えている
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